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【最新情報】天神地区の街づくり 北天神の開発はこれから 福岡県立美術館編2

都市開発

現在須崎公園敷地内にある福岡県立美術館。なぜ市の公園の中に県の施設があるのだろうか。過去の文献等を探ってみた。

これまでの経緯

大正~昭和初期

元々この地は監獄用地として国が所有していた土地であったようだ。福岡市はこの土地を公園にするという条件で国から払い下げを受けている。その後、1943年に須崎公園を都市計画決定している。

一方、北東側の元市民文化会館があった場所は福岡女子専門学校の跡地(県有地)であり、須崎公園の公園緑地帯としての使用していくとともに公会堂を建設する予定となっていた。

戦時~戦後

戦後、福岡文化センターを整備する機運が高まり、図書館、美術館、公会堂を須崎公園内に整備する計画となった。もともと予定されていた、公会堂は別の箇所に建設されることに方針転換されたため、文化センターに当たる市民会館を福岡女子専門学校の跡地に建設することになった。公園内には図書館と美術館が建設される予定となったが、敷地の広さの問題もあり、図書館と美術館は一体として、市民会館と向かい合うように建設された。また、一連の文化施設の整備費用が高額であったため、図書館(美術館含む)は県で整備することとなり、建設する敷地は市から県へ無償貸与となっている。

こうして、市民会館が1962年4月、図書館と美術館の一体施設(福岡文化会館)が1964年11月、須崎公園が1968年3月に完成している。

余談

須崎公園には1945年の終戦直後に戦災者のための応急簡易住宅が建設されていたため、公園整備の際には強硬な立ち退き反対運動が起こった。結果として那珂川沿いの公有地に移転することで決着している。

考察

県が図書館と美術館の一体施設(福岡文化会館)を建設する際に計画より建築面積が大きくなったため、公園敷地が面積不足となった。面積不足分は貝塚公園が補完しているようだ。

辿ってみると、市民会館跡地は当初県有地であったが今では市が管理運営する土地になっている。また現在の県立美術館の敷地も県の施設が鎮座し、管理運営は県であり、元々の土地の権利者と違う主体が管理運営をするという不思議な関係になっている。さらに、先ほど紹介した貝塚公園も市が管理運営しているが敷地の半分余りは県有地という事らしい。これらの土地には当時のいろいろなやりとりがあった上で現在のような形となっていることが予想される。今後、県立美術館が移転してしまった跡地は、順当に、福岡市に返還され、福岡市が一体開発を行うようになるのか見ものである。